今日、トイレで小さい方をしながら考え事をしていて、ふと思ったこと。
「あれ?自分が中学生の頃ってgoogleなんかないから、興味持ったことでもすぐに調べることさえ出来なかったよなあ。」
すぐに調べられないから、頭の中で見当違いの妄想が広がっちゃったりなんかして。
今ってちょっと検索すればすぐに大体の正解が出て来ちゃうじゃないですか。
めちゃくちゃ便利な反面、何だか正解がすぐに出ることが当たり前みたいに思っちゃいがちになってるんじゃないか?
そうすると、失敗するのがこわくてこわくて思ってもやってみることが出来ない人も多いんじゃないか?と。
私、思います。
正解しか受け入れない社会があったとしたら、それがどれだけ脆い社会なのか 。
正解しか受け入れない個人があれば、その人の心がどれだけ脆いか。
失敗するということ、それも受け入れる様になることって結構、死活問題です。
「あれ?自分が中学生の頃ってgoogleなんかないから、興味持ったことでもすぐに調べることさえ出来なかったよなあ。」
すぐに調べられないから、頭の中で見当違いの妄想が広がっちゃったりなんかして。
今ってちょっと検索すればすぐに大体の正解が出て来ちゃうじゃないですか。
めちゃくちゃ便利な反面、何だか正解がすぐに出ることが当たり前みたいに思っちゃいがちになってるんじゃないか?
そうすると、失敗するのがこわくてこわくて思ってもやってみることが出来ない人も多いんじゃないか?と。
私、思います。
正解しか受け入れない社会があったとしたら、それがどれだけ脆い社会なのか 。
正解しか受け入れない個人があれば、その人の心がどれだけ脆いか。
失敗するということ、それも受け入れる様になることって結構、死活問題です。