狩猟免許を取って8年ほど経ちました。
決して多くはないですが、自分で獲った獲物はほとんど解体し食べてきました。
その中でこちら(鹿を解体する時に考えていること)の様なこと感じてきました。
最近、鹿の首の骨の頭骨から数えて2番目の骨(頚椎の2番、軸椎と言うそうです)を眺めていて思ったことがあります。
これ、火焔土器に似ているなあ。
新潟に引っ越してきてから火炎土器の写真を見かける機会が結構あります。
新潟県の信濃川流域を中心に火焔土器が発掘されているそうです。
なので、軸椎を見て火焔土器を連想したのは新潟に来たこともきっかけの一つかと思いますが。
ちなみに軸椎の画像はこちら
火焔土器といえば僕は一番初めに岡本太郎を思い出すわけですが、火焔土器の造形を初めて見たときはなんじゃこりゃ!?と思ったわけで。なんでこんな造形を作ったんだろう?と思いました。
だって、日常に見る形とはあまりにも違っているじゃないですか!
でも、火焔土器が作られた縄文時代は狩猟採集時代で(縄文の中期には農耕が始まっていたと言う説もあるらしいですが)軸椎の様な骨は割と日常的に見ていたのではないかと想像します。
今の私たちの日常では、そういったものは目にする機会はなく、もっと直線的なもの、いわゆる綺麗に整えられたものが多いですよね。
縄文時代に至ってはむしろ直線的なものは目にする機会はあまりなかったのではないかと思います。
何が言いたいかと言うと、現代の私たちからするとなんじゃこりゃ?な造形でも、結構身近な造形に関連のある形だったんじゃないかな?と思うのです。
私たちは綺麗な字を思い浮かべるとき明朝体のフォントを思い浮かべると思いますが、(小学校の頃の漢字の学習などのお手本の字みたいな)印刷がまだなかった頃はだらかが書いた字をお手本として思い浮かべていたはずです。そのお手本として思い浮かべるものが、ハンドメイドなのか、プロダクトなのかの差は小さくないんじゃないかと思います。
獣を解体して肉を食べることが身近であると言うことは自分たちの体についても良く知っていると言えるのではないかと思います。もしくは人間の体を知っているということは獣の体についても良く知っていると言えると思います。四つ足の動物は指先、足先の差はあれど共通点も多いです。
現在、遺伝子の解析、脳科学の発展によって人間について解明されてきているかもしれませんが、個人個人が人間とはなんなのかを知っていると言う面では縄文人に及ばないところも多いのではないかと思います。
ウンコや死を日常から遠ざけた分見えなくなってわからなくなっていることがあると思います。
知識で知っていることを実体験を通して経験するとより理解が深くなると言うことを狩猟を通してよく思います。
決して多くはないですが、自分で獲った獲物はほとんど解体し食べてきました。
その中でこちら(鹿を解体する時に考えていること)の様なこと感じてきました。
最近、鹿の首の骨の頭骨から数えて2番目の骨(頚椎の2番、軸椎と言うそうです)を眺めていて思ったことがあります。
これ、火焔土器に似ているなあ。
新潟に引っ越してきてから火炎土器の写真を見かける機会が結構あります。
新潟県の信濃川流域を中心に火焔土器が発掘されているそうです。
なので、軸椎を見て火焔土器を連想したのは新潟に来たこともきっかけの一つかと思いますが。
ちなみに軸椎の画像はこちら
火焔土器といえば僕は一番初めに岡本太郎を思い出すわけですが、火焔土器の造形を初めて見たときはなんじゃこりゃ!?と思ったわけで。なんでこんな造形を作ったんだろう?と思いました。
だって、日常に見る形とはあまりにも違っているじゃないですか!
でも、火焔土器が作られた縄文時代は狩猟採集時代で(縄文の中期には農耕が始まっていたと言う説もあるらしいですが)軸椎の様な骨は割と日常的に見ていたのではないかと想像します。
今の私たちの日常では、そういったものは目にする機会はなく、もっと直線的なもの、いわゆる綺麗に整えられたものが多いですよね。
縄文時代に至ってはむしろ直線的なものは目にする機会はあまりなかったのではないかと思います。
何が言いたいかと言うと、現代の私たちからするとなんじゃこりゃ?な造形でも、結構身近な造形に関連のある形だったんじゃないかな?と思うのです。
私たちは綺麗な字を思い浮かべるとき明朝体のフォントを思い浮かべると思いますが、(小学校の頃の漢字の学習などのお手本の字みたいな)印刷がまだなかった頃はだらかが書いた字をお手本として思い浮かべていたはずです。そのお手本として思い浮かべるものが、ハンドメイドなのか、プロダクトなのかの差は小さくないんじゃないかと思います。
獣を解体して肉を食べることが身近であると言うことは自分たちの体についても良く知っていると言えるのではないかと思います。もしくは人間の体を知っているということは獣の体についても良く知っていると言えると思います。四つ足の動物は指先、足先の差はあれど共通点も多いです。
現在、遺伝子の解析、脳科学の発展によって人間について解明されてきているかもしれませんが、個人個人が人間とはなんなのかを知っていると言う面では縄文人に及ばないところも多いのではないかと思います。
ウンコや死を日常から遠ざけた分見えなくなってわからなくなっていることがあると思います。
知識で知っていることを実体験を通して経験するとより理解が深くなると言うことを狩猟を通してよく思います。